人権DDフロントライン

金融セクターに求められる人権デューデリジェンス:投融資判断、ポートフォリオ評価の課題と進歩

Tags: 金融セクター, 人権デューデリジェンス, 投融資, ポートフォリオ評価, エンゲージメント, ESG

はじめに

金融セクターにおいて、投融資活動が人権に与える影響への関心が高まっています。金融機関は直接的なオペレーションに加え、資金供給を通じて様々な企業活動を支援しており、それらが人権侵害に関与するリスクを内包しています。この認識に基づき、国連「ビジネスと人権に関する指導原則(UNGP)」やOECD「責任ある企業行動のための多国籍企業行動指針」、特に金融機関セクターガイダンスは、金融機関にも人権デューデリジェンス(人権DD)の実施を求めています。

しかし、金融機関における人権DDは、事業会社が自社のサプライチェーンや直接オペレーションに対して行うものとは異なる、独自の課題を抱えています。本稿では、経験豊富な人権・ビジネスコンサルタントの皆様が金融セクターのクライアントを支援する際に直面しうる特有の課題に焦点を当て、現場での具体的な難しさ、それを克服するための進歩、そして新しいアプローチについて考察します。

金融セクターにおける人権DDの特殊性と課題

金融機関の投融資活動における人権DDは、対象が多岐にわたり、情報アクセスが限定的であるという根本的な課題に直面します。

1. 投融資先の情報とアクセスに関する課題

事業会社が自社のサプライヤーに対して契約上の要求や監査を行うことと比較すると、金融機関が投融資先(特に上場企業や多数の企業で構成されるファンドなど)の事業活動、サプライチェーンにおける詳細な人権リスク情報を網羅的に把握することは非常に困難です。投融資先が情報開示に消極的であったり、自社の人権リスク管理体制が未成熟である場合、透明性の確保は一層難しくなります。

2. ポートフォリオ全体のリスク評価と優先順位付け

金融機関は通常、数百、数千といった多数の投融資先を抱えています。個別の投融資先に対して詳細な人権DDを実施することは非現実的であり、ポートフォリオ全体のリスクをどのように評価し、どの投融資先を優先的に深度ある評価やエンゲージメントの対象とするかの判断は複雑な課題です。セクター、地域、事業規模、特定の取引(例: プロジェクトファイナンス、M&Aファイナンス)といった様々な要素を考慮し、最も深刻な人権リスクが存在する可能性が高い領域を特定する体系的なアプローチが求められます。

3. エンゲージメントを通じた影響力行使の難しさ

金融機関は投融資という形で間接的に影響力を行使することが主となります。事業会社が取引停止などの直接的な手段を持ちうるのに対し、金融機関の影響力は株主提案、議決権行使、対話(エンゲージメント)などが中心となります。これらの手段が、投融資先の人権リスク管理の改善にどの程度効果を発揮するかは、投融資先との関係性、持株比率、他の投資家との連携の有無など、多くの要因に左右されます。効果的なエンゲージメント戦略の策定と実行は、実践上大きな課題となります。

4. 事業撤退(ダイベストメント)判断の複雑性

人権リスクが深刻で改善が見られない場合、金融機関は事業撤退(ダイベストメント)を検討する可能性があります。しかし、ダイベストメント自体が投融資先の事業悪化を招き、雇用や地域社会に悪影響を与え、かえって人権状況を悪化させるリスクも存在します。また、倫理的な問題だけでなく、財務的な影響も考慮する必要があります。ダイベストメントは最終手段と位置づけられるべきですが、その判断基準とプロセス、ステークホルダーへの説明責任は重要な課題です。

新しいアプローチと進歩:実践の最前線から

これらの課題に対し、金融セクターにおける人権DDの実践は進化を続けています。

1. データとテクノロジーの活用

詳細な情報アクセスが難しい投融資先のリスクを効率的に把握するため、外部データプロバイダーやNGOによるレポート、メディア情報、地理空間情報(GIS)、さらにはAIを活用したリスクスクリーニングツールなどの活用が進んでいます。これらの技術を用いることで、広範なポートフォリオの中から潜在的な高リスク案件を特定し、リソースを集中すべき対象を絞り込むことが可能となります。ただし、データの網羅性、正確性、リアルタイム性には限界があり、情報のバイアスを理解し、複数の情報源を組み合わせることが重要です。

2. セクター・地域別リスク評価フレームワークの深化

金融機関は、特定のセクター(例: 鉱業、農業、建設)や地域に内在する人権リスクの種類や深刻度が異なることを踏まえ、より洗練されたリスク評価フレームワークを開発しています。人権侵害の類型(例: 強制労働、児童労働、土地権侵害、先住民の権利)ごとに、特定の事業活動との関連性を分析し、投融資判断やエンゲージメントの深度を決定するための基準を設ける試みが見られます。

3. 効果的なエンゲージメント戦略と協調エンゲージメント

エンゲージメントの実効性を高めるため、他の投資家やNGOと連携した「協調エンゲージメント」が有力な手段となっています。複数のステークホルダーが共同で投融資先に働きかけることで、単独では得られない影響力を持つことができます。また、エンゲージメントの目標設定、進捗評価、成功・失敗事例の共有といった運用面の工夫も進められています。

4. ポジティブ・インパクトへの注目と人権の統合

リスク回避だけでなく、投融資を通じて人権状況の改善に貢献する「ポジティブ・インパクト」への関心も高まっています。再生可能エネルギー、マイクロファイナンス、地域開発プロジェクトなど、社会や環境に貢献する意図をもって設計された金融商品において、その活動が意図せぬ人権リスクを生み出していないか、あるいは人権尊重に積極的に貢献できているかを評価するアプローチが模索されています。グリーンボンドやサステナビリティボンドといった新しい金融商品のフレームワークに、人権に関する評価基準を統合する動きも見られます。

5. 学術的知見と現場実践の連携

人権法、国際関係論、地域研究、経済学といった学術分野の知見は、金融機関が直面する複雑な人権課題の背景を理解し、より実効的なアプローチを設計する上で不可欠です。例えば、サプライチェーンにおける強制労働の構造的要因、特定の地域における土地権問題の歴史的背景、あるいは企業の意思決定に対する投資家エンゲージメントの効果に関する研究成果などは、現場でのリスク評価やエンゲージメント戦略の質を高める示唆を与えます。コンサルタントとしては、これらの学術的知見をいかに金融機関の実務やシステムに落とし込むかが腕の見せ所となります。

コンサルタントに求められる視点

金融セクターのクライアントを支援するコンサルタントは、金融の仕組み、規制環境、そして投融資活動が人権に与える複雑な影響を深く理解する必要があります。既存のリスク評価手法や技術ツールに関する知識に加え、以下のような能力や視点が特に重要となります。

まとめ

金融セクターにおける人権デューデリジェンスは、特有の複雑な課題を抱えながらも、データ活用、評価フレームワークの深化、エンゲージメント戦略の進化といった多様なアプローチを通じて着実に進歩しています。投融資判断やポートフォリオ評価における人権リスクの統合は、金融機関にとって単なる規制遵守に留まらず、長期的なレジリエンスと企業価値向上に不可欠な要素となりつつあります。

人権・ビジネスコンサルタントとして、この最前線で金融機関のクライアントを支援するためには、既存の知見に加え、金融固有の課題への深い理解と、それを克服するための新しい手法、政策動向、そして学術と現場を結びつける柔軟な思考が求められます。本稿が、皆様の現場での取り組みに対する一助となれば幸いです。